──サンディエゴでは、日本にいるときより多くの障害者を街で見かけたという。
「そこで驚いたのは、日本で感じていたような、触れてはいけない感がないんですね。例えばですが、僕がサンディエゴで初めてスタジアムに選手登録に行ったとき、僕の横にバスケットのアメリカ代表の選手と、背が伸びない障害を持ったパラリンピック選手がいたんですね。このパラリンピック選手は背が小さいので、登録デスクに背が届かなくて、そのままでは記入ができなかった。するとバスケット選手が笑いながら何かの台を持ってきて、何か言いながらその台にこのパラリンピック選手を乗せてあげたんです。そうしたらこのパラリンピック選手が、これなら俺の方がダンクでお前に勝てるぜ、みたいな冗談を言って、お互いに笑い合っているんです。
これを見て、僕は衝撃を受けました。何に衝撃を受けたかというと、自分だったら、どこかでかわいそうという気持ちが働いて、あんなに自然にできないと思ったんですね。つまり自分の内面の偏見に衝撃を受けた。」
──傷つけるという意図なく障害に触れていて、障害もその人の特徴の一つとして、自然に接することができる社会。障害の有無を超えて、足りない人は助けて貰えばいいし、余っている人は差し出せばいいというように、日本でももっとフラットに人は関係を持てるのではないかと為末さんは思ったという。
「それをどうやって社会に伝えていくかを考えた時、パラリンピックのスターが出てくれば、きっといろんな場面でその人を目にする機会が増えると思うんです。例えばその人がテレビに出るようになる。日本のテレビには障害のある人があまり出てきませんよね。でもそういうスターが出て来るようになれば、いろんな人が気づきを持つようになると思うんです。例えばそれを見た椅子のデザイナーが障害者に優しい椅子を作るとか。僕みたいな陸上選手が、スタジアムにある段差を見て、これは車椅子が越えられないな、と思ったりする。目にする機会が増えれば、バリアフリー化が進むのではないでしょうか。」