TOYOSU会議

各界の若手有識者が新豊洲のまちづくりを自由に語り合う

2020年、パラリンピックと豊洲のまちづくりを考える
第1回TOYOSU会議
Part9

パラリンピック記録がオリンピック記録を抜くためには

為末:
遠藤さん、パラリンピックで9秒台が出るのはいつですか? いま10秒57? 僕の記録が10秒49ですから、僕の記録は来年くらいにはもう危ない?
遠藤:
ヤバいですね。来年くらいには……。
為末:
ジョイナーも10秒49くらいだから、女子の世界記録はもう破られる。9秒台は?
遠藤:
ジョイナーの記録は来年のリオ辺りで危ないですね。9秒台は、2020年くらいじゃないですかね。とはいえ義足だけじゃあなかなかそうもいかなくて、アスリートの競技性であったりとか、本人次第というところが結構大きいと思います。板バネの部分で0.3秒くらい、本人の力で1秒くらい。今、日本記録でも11秒後半ですから、やっぱり2020年くらいになんとか9秒台……。
為末:
高桑さん、健常の方の足と義足の方の足と、使い方は一緒ですか?それとも地面の踏み方とか違いはありますか?
高桑:
違うという理解をしてもらっていいと思います。いろんな方が数字を出して、義足を使えばもっと速く走れるんじゃないかと言いますけども、やっぱり、不思議なんですけど体って一つじゃないですか? 体は一つだけど足は2本あって、その2本の足が1本はつながってるけどもう1本は違うものがついてる。やっぱりそうなると一つの方向に走っているのに、扱っているものが違うんですよ。違うタイヤつけてるみたいな。それをコントロールするのってすごく難しい。走るときって足首を使わないって言うじゃないですか。でも足関節は走るということに対してすごくいい影響を与えていて、でもそれは私たちの義足にはないわけですね。あの足関節の柔軟な動きっていうのは、なかなか得られないんですね。それに得ようと思ったら、あの大きな板バネをどうコントロールするか、それはバネの力だけじゃなくて、膝の動きだったり、股関節の動きだったり、腰の動きだったりするので、義足で走るというのは意外と大変なんですよっていうことで(笑い)。やっぱり競技者の努力であったり、技術を磨き上げていかないと、誰もがアスリートになれるわけではない。
為末:
コーチがいないという状態じゃないですか、パラリンピックの世界って。それも大きな問題ですよね。皆さん、どうやって義足をつけた走りをしていけばいいのかわからない……。
高桑:
私が最初の頃よくいわれたのは、下腿義足の場合は、健常者と一緒だよ、ってよく言われて、嘘をつけ、って思いました。私は高校の頃から健常者と一緒に練習するっていう、速い人がいる環境を求めていっただけで、健常者の中にいたんですけども、確かに感覚で走れる部分はある、それは私にも必要だなというところはあるんですけれども、でもどうしても義足は健足にはなり得ないとは思います。大腿義足の場合は、多くの場合は義足師が技術、歩行の技術を発展させて走行技術を提供している場合が多くて、義足の走行技術に特化した指導者というのがほぼいない。私のコーチはあるとき、義足の走り方というのは別にあるんだということに気づいて、それで勉強しながら、私と話をしながら、指導方法というのを苦労しながら探っているところです。
為末:
今、現状わかっている中で、どうも義足の走り方はこういう走り方をするのがいいんじゃないか、という仮説は立っているような気がするんですが?
遠藤:
やはり現実の世界とどう違うかという議論の中にある状態ですが、人間の筋肉の使い方という部分で、ミクロの視点から見ると、筋肉というのは収縮しているよりも伸展している方が大きな力が出るということは事実なんですよ。だからトランポリンに乗っているときの方がトランポリンがない状態のときよりも高く飛べるというのは、それだけ大きな力を出しているということなんですね。だからそれを走りにどう生かすかというのはまた別問題なんですけれども、そういったパフォーマンスの違いを走りにどう生かすかというのが、多分義足、義足だけじゃないですね、走り方を考えて体にあった義足を作るという方向性があるんではないかと僕は考えています。
為末:
僕は腕がすごく太くなるんだっていう印象を持っていて、どうも腕で制御するというのが非常に重要なんじゃないか。
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