TOYOSU会議

各界の若手有識者が新豊洲のまちづくりを自由に語り合う

2020年、パラリンピックと豊洲のまちづくりを考える
第1回TOYOSU会議
Part6

障害者が普通にスポーツに触れることができる環境を

為末:
一方そのためにも選手強化がどうなっているのかとか、さらにもっと裾野を考えて(障害のある)子どもたちがパラリンピックを目標にするときの参入のハードルの高さとか、問題もいろいろあると思うんですけれど、そのあたりを教えていただけますか。
高桑:
私がいつも思っているのは、スポーツって普通、自分たちの周りに当たり前のようにあるじゃないですか。それもやってもやらなくてもどちらでもいいし、もしかすると学生のときの体育はあまり好きじゃなかったなという人もいるかもしれない。でも障害を負ってしまうと、そんなことさえ考えられなくなってしまう。つい最近まで、そんな時代だったんです。例えば私だったら、足を切断してしまった時点で、ああもうスポーツできない、左足を切断して、義足をつければ歩けはしましたけど、スポーツの夢は砕かれてしまった、みたいに感じたときはありました。私は幸い、その後に道が開けましたけど、世の中にはそれでスポーツをあきらめてしまっている子供や若者がたくさんいると思うんですね。いくら社会がパラリンピックとか障害者にもスポーツをと言っても、親の世代の常識では、障害者はスポーツをやらないみたいなところがあって、私の母もそういうところがあったんですけれども、そんなところから若い人がスポーツをできなくなってしまうということはあると思います。また陸上競技用の義足についてお話しすると、やっぱり道具が高い。そこまでお金をかけて陸上競技をやるかといえば、大きな決断を迫られるというところがあります。これからは障害者にとってもスポーツが身近なところにある、やってもいいんだよ、当たり前に思えるような、例えばアートの世界、踊ってもいいんだよ、歌ってもいいんだよ、というようなことも同じかもしれないけれど、そういうことを示してあげられる何か、環境かもしれないけれど、障害者に取って簡単にスポーツができる環境がある、歌える環境がある、という風に変わってきてくれる。そういうことを障害者がわかりやすく感じられるビジョンというか、ビジョンということではヒーローというのも大事かもしれないですね。強化の部分に関しては、私当事者でもあるのであんまり言いづらい……(笑)。
為末:
家の近所に公園があって、そこは裸足で走っても大丈夫なところなんですが、そこで僕が裸足で歩いていたら、それを見ていた子供が、裸足になってもいいんだとわかって、自分も靴を脱いで裸足で歩き回り始めたみたいなことがあって、誰かが始めるまではそんなことしてもいいんだということを気づかない、ということがあると思うんですね。(障害者スポーツにおいて)そこを阻んでいる(理由の一つ)が義足が高いことなんじゃないかと思うんですが、例えばこの先競技用義足はいくらくらいにできそうですか?
遠藤:
いくらくらいになると……、正直、健常者と障害者と分け隔てなくということを考えると、健常者が靴を買うくらいの値段じゃないとフェアじゃないと思います。とはいえそれはやはり難しいので、そういったところにサポートがあるべきです。
為末:
今、いくらでしたっけ。
遠藤:
高桑さんのつかっている板バネの部分で46万円とか、それくらいします。
高桑:
人によりますが、私の場合いたバネに関してはだいたい1年に1本変えて、値段は板バネはそうなんですけど、装着具とか全部合わせると3桁ちょっと手前かなって感じで。ですから私も買うのには、たくさんのサポートが必要です。ですからできることなら、(障害のある)小さい子供が走るための義足なり板バネや装着具はできれば無償になればいいなあと思います。早く走るためのものでなくていいんです。ただ走るという行為ができる、やってもいいということを感じてもらうためのものということで、できれば無償で提供してほしいなって思います。
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