TOYOSU会議

各界の若手有識者が新豊洲のまちづくりを自由に語り合う

2020年、パラリンピックと豊洲のまちづくりを考える
第1回TOYOSU会議
Part4

障害者だからこその才能を社会に生かす

為末:
では栗栖さんには、ヨコハマパラトリエンナーレのお話と、それともう一つは普通というのはどういうことなのか、そこに僕はすごく興味があるんですが、その辺りのお話を伺えたらと思います。
栗栖:
クリエィティブ・ディレクターをしている栗栖良枝です。まずパラトリエンナーレのご説明から入りますが、今年の夏に横浜で始まる新しいアート展です。障害のある方といろんな分野のプロフェッショナルがコラボレーションをして、新しい芸術表現に挑戦するという新感覚のアート・フェスティバルで、私はそれのクリエィティブ・ディレクターです。どうしても「パラ」という言葉がついて、障害者の話が出てくると、障害者のアートを展示する展覧会を想像されるかと思うんですが、パラトリエンナーレはそうではなくて、むしろ障害者の方たちの障害があるが故に発達した、ある意味超人的な部分を、たとえば視覚障害者の方たちの聴覚とか触覚であるとか、目に見える私たちには感じることができないものを感じることができるその能力と、いろいろな分野のプロフェッショナル、メディア・アーチストですとかファッションデザイナーですとか、がコラボレーションすると、一人では生み出せないものが生まれるんではないか、という挑戦です。
障害って何だろうということですけれども、障害って実はその人の側にあるのではなくて、実は社会の側にあるんじゃないかということを、今このパラトリエンナーレを企画していて感じています。で、その障害っていうのは、一人では出来なくてもチームで、たとえば義足のランナーの方に義足を作る人がいたり、視覚障害者の方に伴走する人がいたり、支える人がいることによって、よりパワフルなものが生まれるというような、可能性を秘めた面白い部分だなと思っています。先ほどロンドンの話がありましたが、実はオリンピックには文化プログラムがオリンピックに合わせて開催されることがオリンピック憲章によって義務づけられていまして、ロンドンではその文化プログラムとして「アンリミテッド」という障害者アート・プログラムが開催されました。その中で今まであまり人の目に触れなかった障害者によるアート表現というものが可視化されてずいぶん身近なものになったということを聞いています。ですからアートというのはそうしたソフトの面で、都市計画などのハードにプラスして、オリンピック・パラリンピックの開催の効果としては有効な手段という風に思っています。
為末:
ありがとうございます。パラトリエンナーレで具体的にこういうことが起きるんだ、ってびっくりしたような例ってありますか? 僕は個人的な経験として、全盲の方が体育館の中を自分の足音の反射音をたよりにぐるぐる走っているのを見て、びっくりした記憶があるんです。
栗栖:
そうですね。視覚障害者の方の手で触ることによる感覚だったり、私たちには聞こえないものが聞こえたり全くその感じ方が違っていたりとかするときには本当に驚かされることがあるんですが、アートという点では、たとえば自閉症の方が社会のことを全く意識せず、制作に没頭できる姿というのは、それこそアートをやっている人間だったらわかると思いますが、どうしても社会の目を気にする自分がいたりするんだけれども、そんなことを無視して没頭する姿は超人的に見えます。
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