TOYOSU会議

各界の若手有識者が新豊洲のまちづくりを自由に語り合う

2020年、パラリンピックと豊洲のまちづくりを考える
第1回TOYOSU会議
Part3

先進国でのオリンピック・パラリンピック開催のモデルとなったロンドン

為末:
高桑さんにはロンドンのことを聞きたいです。ロンドンのパラリンピックはどうだったか。それともうひとつは、日本で暮らしていて、障害者のスポーツ環境、練習するグラウンドが足りないとか、義足が非常に高価だとか、障害者がスポーツに入っていくことの難しさとか、そういうところをお聞きしたいと思います。
高桑:
私はいま、慶応義塾大学の体育会競争部に所属していまして、健常の学生たちと一緒に、日々切磋琢磨しながら、己の技術を磨いています。私は左足の膝下からが義足で、ロンドンパラリンピックでは100メートル、200メートル、走り幅跳びの3種目で出場してきました。パラリンピックはロンドンが初めてだったんですけれども、初めての私でもわかるくらい、ロンドンはなんてすばらしい大会で、為末さんもおっしゃいましたけど、先進国のパラリンピックってこうあるべきだよねという、一つの答えを見たような、そんな感覚を覚えました。大会自体の話をしますと、競技場は8万人収容の大きなスタジアムが、午後の試合になると満席になるくらいお客さんが入ってくれました。まあ私の場合は陸上競技というラッキーな種目で、開会式、閉会式の会場となるメインスタジアムだったというのもあるんですけども……。また街に出ると、私たちは選手なんで着るものジャージしか持ってなくて、そうすると日本人の方が「パラリンピックの選手の方ですか?」って声をかけてくれて、その方たちが口々に言っていたのが、すごく見に行きたいけれど、チケットが取れなくて、というくらい人気があるんです。日本では人気のスポーツならともかく、なかなかパラリンピックではそんなこと聞かないので、そこにすごく感動しました。それと街ではハード面でのバリアフリーというのがキーワードになると思うんですが、ロンドンの街は決してそうではない、むしろ私たち義足にとっては石畳って歩きにくいですし、階段もたくさんあるし、地下鉄ばっかりですし、すごく大変。でも街中には、障害者を助けますよという意味で、車いすのマークが当たり前のようにたくさんあって、ボタンがついてるんです。つまり言ってくれればいつでも助けますよっていう、ソフト面でのバリアフリーというのが進んでいるなと思いました。
日本の練習環境ですが、私たちみたいな義足の場合、結構健常者に混じって練習できたりするんですが、車いすの場合、または伴走やサポートが必要な視覚障害の人たちが練習する場所を探す段階から苦労しているという話を良く聞きます。だからまちづくりという視点で、障害者がスポーツという選択肢を排除されない、スポーツを選んでいいんだよという環境が、2020年のパラリンピックに向けて進んでいくといいんじゃないかと思います。
為末:
ココロのバリアフリー、というものの変化が起きていくべきじゃないかと思います。まだ日本では難しいかもしれませんが、少し変化の兆しはありますか? またはこうなったらいいなというようなことはありますか?
高桑:
やっぱりムーブメントというのもあると思うのですが、2020年に向けて今までオリンピック一辺倒だったのが、オリンピック・パラリンピックというように二つの名前で呼ばれるようになっただけでも大きな変化だと思います。でもまだパラリンピックのことを知らない人も多い。そういう知らない人たちが、パラリンピックや障害者スポーツについて報道などで目に触れる機会は増えてきたとは感じています。ロンドンでも聞いたんですが、ロンドンも本番の1年くらい前までは同じような状況だったそうですが、やはりメディア展開がすごく上手だったそうで、何だかっこいいじゃないかということで、人々の関心がパラリンピックに向いたということもあるそうです。もっと人の目に触れる機会が増えていけば、パラにンピックに対する人の目も変わってくるんではないかと思います。
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