TOYOSU会議

各界の若手有識者が新豊洲のまちづくりを自由に語り合う

2020年、パラリンピックと豊洲のまちづくりを考える
第1回TOYOSU会議
Part2

技術の進歩と身体の関わりとバランス

為末:
では次は遠藤さん。今、サイボーグという会社で義足の開発をやっている、元MITにいた研究者の遠藤君ですが、まず現状のことと、それと今義足はどこまで来ていて、そして2020年にはどんなになっているのか。そして僕が一番興味があるのは、オリンピアンがパラリンピアンに抜かれる日は一体いつ頃来るのかなんですが、そのあたりの未来の話をお聞きします。
遠藤:
ソニーコンピュータサイエンス研究所で研究員をやりながら、サイボーグという会社で義足の開発と選手の育成を目指しています。為末さんもサイボーグの創業メンバーなので、その関係で今日呼ばれてきました。
僕の研究テーマは身体能力というか、バイオメカニクスと言われるもので、身体能力を補助あるいは拡張する技術なのですが、昔から研究はあるけれど、なかなか定着しない。皆さん服を着てらっしゃいますが、服というのは身体の運動能力をできるだけ邪魔をしないように作られますし、例えば眼鏡は、視力をアップするためのデバイスだったりするんですが、できるだけ運動の妨げにならないよう作られるのがはやりだったりします。ですからこれから技術が進歩していくと、さらに身体と技術の関わり方というものは変わってくると思っています。で、僕の研究は、まさに年を取ると身体能力が衰えていく人間、それをサポートできる技術があるという風に思っていて、その中でひとつで競技用義足、隣にいる高桑さきさんも練習中には装着していますけれど、2008年に裁判がありました。オスカー・ピストリウスの裁判。彼がロンドンオリンピックに出て、彼の議論の中で義足の板バネには優位性はあるかという議論だったんですけれども、これは研究者によって議論が分かれるところです。僕は板バネによって人間の運動能力というのはあがる可能性はあると思っていまして、今両足がない選手の義足による世界記録が10秒57で、健常者記録に1秒くらい遅いんですが、僕は2020年の東京の頃までにどれくらい迫れるかというところにワクワクしています。そこに自分が何かを携われるような研究者になりたいと思って勉強しています。できれば健常者の記録を上回るような義足を作ってみたい。その先になにがあるかというと、障害者に対する見方が変わるのではないか、と思っています。それで豊洲に何が求められているかというと、2020年のパラリンピックで何を見せるか、そしてその後に何が残るか、せっかく日本でやるのだから、それにたいして技術開発というものがあって、自分がそれに携わって、人間の生活がどう変わるか、リハビリテーションであったりとか、身体能力をどれくらい支えられるものができるかとか、そういうところも僕は興味の範囲でやっていきたいと思っています。一方最後に一つ付け足すと、スポーツとアートで何が大事かと思ったときに、ディズニーの「ウォーリー」という映画がありましたが、映画の中で人間の技術がすごく進歩したときに何が起こったかというと、ぶくぶく太って歩けなくなったりしてるわけです。人間というのはやはりものすごく合理的に考えるようにできていて、でもそれに従っていくと怠けてしまうんで、それに対して体を動かすとやっぱり気持ちがいいとか、モチベーションになるとか、それが人間にとってスポーツとアートが持つ最大の功績じゃないかと思います。例えば豊洲の中でそうした技術開発が進んで、さらにスポーツとアートで人間の暮らしがもっと豊かになるような動きが生まれたらと思って、今日はこの場にきました。
為末:
僕もそこがすごく面白いと思っていて、例えばユニバーサルデザインみたいなものが究極まで行くと、高齢者の人なんか歩かなくてもよくなって、かえって体にいろんな障害が出てきてしまうみたいなことが起きかねない。どれくらいテクノロジーがサポートして、どれくらい人間自身が自ら環境に適応しようとするかのバランスが結構難しいと思うんだけど……
遠藤:
例えば高桑さんみたいなトップアスリートは極限まで体を鍛え上げているので、結構体を酷使してると思うんですが、それは全員の人がやろうとしても無理な話ですよね。一般的にスポーツといっても健康には程々がいいとされてます。でもまだまだそういうバランスはうまく取れていないなと思います。程よく長期的な視点に立って、快く体を動かそうというような意識改革は必要だと思います。糖尿病なんて、誰でも避けられるのになってしまうのは、目の前の報酬に飛びついてしまって、長期的な視点に立ってない。そこは変わらなければいけないと思います。
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