TOYOSU会議

各界の若手有識者が新豊洲のまちづくりを自由に語り合う

2020年、パラリンピックと豊洲のまちづくりを考える
第1回TOYOSU会議
Part1

2020年、パラリンピックと豊洲のまちづくりを考える

松田:
本日は、第1回TOYOSU会議ということで、SPORT X ARTというテーマに基づいて、新豊洲エリアでのまちづくりと暮らし方について、スポーツやアートの関係者の方にお集まりいただき、自由にアイデアをかわそうという主旨の会議の第1回です。
為末:
おはようございます。
このTOYOSU会議というのは、豊洲の未来についてみんなで話していこうというものですが、テーマは大きく分けてふたつあります。ひとつは2020年のときに、この豊洲という街がどうなっているのがいいのか。それとふたつ目はスポーツで、オリンピックとパラリンピック、特にここではパラリンピックがどういうものになっていたらいいのかを話し合っていきたいです。実はこのふたつ、オリンピック、パラリンピックと都市計画というのは切り離せない関係にあって、このあたり、2020年にどんなものを作るとわくわくするのかということを話していきたいと思います。
なぜそれがすごく重要かというと、1984年、ロサンゼルスからオリンピックは商業化されたのですが、基本路線はその後もそのままで、途上国が先進国に仲間入りするためのものというのがオリンピック、パラリンピックで、それはこのあとのリオも変わらないと思います。
でもロンドンはちょっと違って、先進国がやるオリンピック、パラリンピックはこうあるべきということで、特にパラリンピックにフォーカスを当てて、それが世界的にも評価された。
2020年、東京のオリンピック、パラリンピックがありますが、このときにどんな大会を開催すれば、その後のオリンピック、パラリンピックに影響を与えられるか、つまり世界の都市計画に影響を与えるようなコンセプトを出せるかどうかが大きなテーマだと思っています。そういうことがここで話し合われていくと面白いと思っています。
1964年の東京オリンピックのときは63年にSECOMが創業、それから冷凍技術が導入されて、それは選手村に食べ物を運ぶためですけれども、あとはピクトグラムといって、トイレのマークですね、男性、女性とか、あとは競技を示すデザインの分野も64年の東京オリンピックがスタートと言われています。つまりベンチャーの側面、都市計画の側面、いろんなものがスタートするきっかけになっているのがオリンピック、パラリンピックです。2020年の東京でも、できればここから世界を変えるような何かがスタートするシナリオが書けたらいいんじゃないでしょうか。
清水:
清水と言います。新豊洲エリアの開発プロジェクトであるTOYOSU22のコミュニティデザインのアドバイザーということで、このTOYOSU会議にも参加させていただいております。そのほかに秋葉原の3331アーツ千代田という、中学校を丸ごとアートセンターに変えて、年間来館者80万人、という変わった施設の代表もしています。
TOYOSU22は他の街と違い、少しだけ近未来を指向した街を作ろうとしています。そのときの暮らしの役割になります。開発に先行して緑を育てるために360本の植樹を先日行いました。あの緑はそのまま森になる予定です。その隣には都市の軸という、そこにはにぎわいが作り出されるような斜めにクロスする道も造られる予定です。
新豊洲のコミュニティデザインのテーマは、SPORT X ARTをお題として掲げているのが最大の特徴です。スポーツとアートを楽しむ街がこれから生まれてくるんだと言う、そんなコミュニティデザインの目標を今日掲げたというのが今日の集まりです。
為末:
例えば具体的にスポーツとアートで都市計画の側面で貢献している例はあったりしますか??
清水:
今携わっております岩手県紫波町という、人口3万4000の農業の街で、街の中心を作るオガールプロジェクトというのをやっているんですが、そこは集客のコアをスポーツに置いてまして、岩手県のフットボール協会を誘致して、サッカー練習場、バイエルンミュンヘンと同じ芝を張ったサッカー場をまず作りまして、10万人の集客をそれだけで実現して、それがあることで回りに商業施設なども呼べるようになったんですね。
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